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ハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8, HeS 8)は、世界初のジェット戦闘機 He 280 に搭載されたターボジェットエンジン。性能不十分のためドイツ空軍に正式採用を見送られ、試作のみに終わった。 == 概要 == 前作 HeS 3 を搭載した、世界初のターボジェット推進機 He 178 を1939年8月に進空させたハインケル社 (Ernst Heinkel Flugzeugwerke) は、その初飛行から2ヶ月後の11月1日にエルンスト・ウーデット (Ernst Udet)、エアハルト・ミルヒ (Erhard Milch) ら独空軍省 (Reichsluftfahrtministerium, RLM) 及びナチ高官の前で He 176, He 178 の展示飛行を催し、その場で戦闘機 He 280 の開発契約が結ばれた。 これに先立つ1938年、ユンカース航空エンジン社 (Junkers Motorenbau, JUMO) で軸流式ターボジェットの基礎研究に着手していたルベルト・ヴァクナー (Bearbeiten von Herbert Wagner)、アドルフ・ミューラー (Adolf Müller) らが、当時最も開発の進んでいたハインケル社に移籍し、そこで遠心式ターボジェットエンジンを担当していたハンス・フォン・オハイン(Hans Joachim Pabst von Ohain) らとは別のチームを組織した。 ミューラーらは軸流式ターボジェット 109/006 (HeS 30) の開発を進める一方、オハインらが一貫して注力して来た遠心式ターボジェットにも技術協力し、部品点数が少なく簡潔で軽量だが大径化が避けられないHeS 3 を更に発展させた HeS 8 双発案を He 280 用に選定して、実用化を急ぐことになった。 この HeS 8 は、軸を延伸してその間にアニュラー型燃焼器を納めることで外径縮小と高圧縮化を図ったが、タービンは従来どおりラジアルタービンを踏襲していた。低効率で信頼性・耐久性にも欠け、静止推力は目標値の700kgに対し500kg内外に留まり、寿命も10時間程度の状態が続いた。 世界初の実用射出座席を装備した試作戦闘機 He 280 は1941年3月31日に初飛行し、3日後に敢行された公開模擬空戦では優速と高上昇力を発揮して Fw 190 を圧倒して見せたが、より斬新な Me 262 を優先する国策は覆らず、正式受注は成らなかった。 航空機メーカーとして、自社のエンジン開発能力の不足を痛感したハインケルは、エンジンメーカーのヒルト社 (Hirth Motoren GmbH) との合併をナチに上申し、その許可を得て開発に拍車を掛けた。 その後も HeS 8 の開発は継続され、前置軸流圧縮器を1段追加し、遠心圧縮器のガイドベーンを変更するなどの改良が施された結果、静止推力は600kg程度まで向上したが、軸流式の HeS 30 と社内競作であったため開発資源と人材が分散したこと、HeS 8 の基本設計ではこれ以上の発展が見込めないと判断されたことから、BMW 003 (109/003) 、Jumo 004 (109/004) の実用化に目処が付いた1943年3月には、He 280 も計9機をもって計画放棄を余儀なくされた。 オハインのチームの難航振りを憂慮した空軍省 (Reichsluftfahrtministerium, RLM) 技官のヘルムート・シェルプ (Helmut Schelp)も、ユンカース社 (Junkers Flugzeug- und Motorenwerke) で Jumo 004 の基本設計を終えたマックス・ベンテレ (Max Bentele) らを新生ハインケル・ヒルト社に移籍させ、高出力な軸流・遠心ハイブリッド構成の HeS 011 プロジェクトに参加させたが、技術趣味的な設計変更が重なり、第2次世界大戦中に 完成を見なかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハインケル HeS 8」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Heinkel HeS 8 」があります。 スポンサード リンク
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